極楽寺本堂落慶式
極楽寺本堂落慶式
極楽寺本堂落慶式
住職謝辞
皆様、本日はご多用な中、極楽寺本堂の落慶式にご参加くださいましてまことにありがとうございます。
皆様のお力をいただいての落慶式、住職といたしましては本当に嬉しく、無上の喜びを感じております。
住職は皆様の大切なお墓を預かる極楽寺墓地や縁のある方を荼毘に付す極楽寺火葬場のそれぞれの運営・管理者としての役割があります。
そのような役割がありますが、一番大切で基本となるのは極楽寺本尊をお守りして、そしてご供養をする、宮使いの役割です。
毎朝、ご本尊のお水を替え、お花に水を注ぎ、線香と蝋燭を手向け、お経を読み、そして皆様のご先祖様のご冥福をお祈りする。
そうした毎朝ですから、ご本尊のお体で指や足がない、さらに長年の汚れがこびりつくなど、その傷だらけのお姿は本当に痛々しいものでした。さらに、そのお住まいである本堂は、雨漏りや隙間風が酷くいつ崩れるか分からない状態でした。
私は、毎朝ご本尊を前にして、いつか、ご本尊と本堂を修復そして再建することを誓っておりました。この思いは、家内も同じでした。
そうした思いで、お勤めをしておりましたところ、ありがたいことに昨年、色々なご縁が整いまして、ご本尊阿弥陀如来様の修復と本堂の再建を行なうことが出来ました。
そして、ご本尊の修復は、同じ浄土宗の僧侶であり、阿弥陀様信仰者である吉水快聞仏師によって、本堂の建て替えは株式会社尾田組様によってしていただきました。
それが平成の終わりであり、先週にご本尊の開眼式、そして本日、令和元年に本堂落慶式の運びとなりました。
新元号『令和』、その拠(よんどころ)、万葉集にあります。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」と。
新元号の思いは「新しい御世の始まり、日本の国民が明日への希望と共に、一人一人が、それぞれの花を咲かせて輝く、そのような時代にしたいと」の事だそうです。
浄土三部経の一つに『阿弥陀経』があります。
その中に「池中蓮華 大如車輪、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」の一文があります。
これは、ご本尊阿弥陀様のお浄土、西方極楽に咲く蓮の花、各々の色のままに光輝くとの大意です。
さらに、この西方極楽に往生を願う者は、そのままで救いとる、阿弥陀如来様の大慈悲の表れでもあります。
私の浄土宗、その宗祖であります法然上人は
「善人は善人ながらに念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、ただ生まれつきのままにて念仏する人を、念仏に助差さぬとは云うなり。」と説いてくださっています。
更には「浄土門の修行は愚痴に還りて極楽に生まると知るべし。」とおっしゃています。
乃ち私達のように修行がままならない凡夫は、その救いを阿弥陀如来様に求めて「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と、明確にお示しくださっているのです。
私はここに、愚痴に還る『還愚』の文を掲げます。
それは、ご本尊阿弥陀様の前では、わかった気でいることなく、どうしようもない愚かな自分であることを素直にさらけだす、さらけだせる場所、愚痴に還る場にすることを、掲げたのです。
そのことをご本尊阿弥陀様と皆様にお誓い申し上げまして、お礼の挨拶とさせていただきます。
本日は、まことにありがとうございました。
令和元年五月二十四日
令和山至誠院極楽寺
住職 誠誉正弘 敬白