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お互いの幸せの為に

お互いの幸せの為に

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先日、少年補導員の総会に参加してきました。

縁あって補導員となり、約三年が過ぎました。
補導員の自覚なのか、子供たちを見かけると今まで以上に、大丈夫かな?と関心を持ちます。
総会では管内の少年や高齢者が関わる犯罪状況のお知らせがあります。そこではいつも、その犯罪の防止には地域の力、特に見守る目が非常に大きいと、協力を呼びかけられます。

「お互いの幸せの為に」
これは自衛隊の生活指導でよく使われます。

集団行動の自衛隊で、入隊最初の教育では個人の貴重品の扱いを厳しく指導されます。もし訓練などで部屋を留守にする際、貴重品特に現金類をベットの上などに放置していて、班長に見つかったものなら、ここぞとばかりに腕立て伏せなどの「反省」をさせられます。
当然、連帯責任です(笑)

しかしなぜ、仲間を泥棒と思えと言わんばかりに厳しくするのでしょうか。
実はそこには「盗む者は悪いが、盗まれる者もそれ以上に悪い」とする不文律があります。それは自衛隊特有の経験から得た「人間は誰もがもろく、揺れ動くものである」とする、一種の人間観から生まれたものだと思っています。

人間はだれもがもろいものであり、一瞬魔がさすように過ちを犯してしまう事がある。しかしその時は、本邦唯一の武装集団であるから必罰であり、時には免職としなければならない。そうなると、その先その者を救う事が出来なくなり、非常に無念である。
だからまずは、過ちを犯させないように相互に気をつけさせる。
このような仲間や部下への愛情の表れです。もちろん同時に、その隊員が抱えている苦しみの軽減や消滅を図ることは当然のことです。

これは町にいる少年や大人たち全てにも言えることではないでしょうか。

犯罪がおきた時、当然、まずはその被害に遭った方がとても不幸せになります。しかし一方で犯した者も不幸せです。お互いが不幸せなのです。
しかしこの不幸せは、犯した過ちから生まれます。
その過ちを犯す可能性を私達は、秘めています。それは時には些細なことがきっかけに、魔が差したかのように。

そうならないように、まずは防ぐことができればと思います。

お互いの幸せの為に。

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