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てばなす

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長文です。

ずいぶん日が経ったが、岡山県総社市でのボランティアで感じた事を記しておく。

まずは、多くの方からの励ましやご心配をいただきました。真にありがとうございました。たった一日だけなので非常に恐縮しております。
私のボランティア活動は、行ける人(暇とお金と健康がタイミングよくそろった時に)が行けばいいぐらいの考えであり、さらに行ったならそこの事を知るために観光もするので、そんなに讃えられるようなものではありません。じゃあアップするなよとの声も聞こえて来そうですが、アップして目に留まれば何かの役に立つこともあるでしょうからそこはご勘弁を!(^^)!

さて、活動は総社市昭和地区の作原(さくばら)集落でした。その地区は高梁川沿いにあり、この度の集中豪雨による氾濫で、集落の家々は2階下まで水に浸かったそうです。
私達はそれから約2週間後に訪れたわけですが、津波と違って町並みはそのまま残っていますので一見水害があったようには見えません。しかし集落に足を踏み入れると、悪臭が漂い、家々の壁は浸水した水の跡で汚されていました。さらに作業で各家の敷地に入ると、窓から家の中が見えるのですが、何もかも浸かってひどく汚れており、暑さと湿度で家の傷みが進んでいくのが想像に難くありませんでした。
そこでの作業は、氾濫による汚泥を剥ぐ作業でした。作業は5人で1コグループを組み、担当する家の敷地の表土(汚泥)を剥いでそれを集積場所に捨てに行くものでした。
猛暑の為、日・熱射病予防として15分活動したら休憩をとるとの指示でした。また活動時間は10時から14時まで、途中1時間の昼休みをとるものですから、実質の活動時間は計3時間ほどでした。短く感じましたが、活動参加者の体力などからは妥当なものでしょう。その点、朝早くから夕方遅くまで活動できる能力を持つ自衛隊員は、非常に貴重な存在であることを痛感いたしました。

私達が作業を行っている間、住民の方々は後片付けをされておりました。特に家具やこまごまとしたモノの水洗いが忙しそうでした。
休憩時に、その作業をされている家の奥さんと話をする機会がありました。非常に疲れていらっしゃるのはすぐに分かりましたが、まず私達への労いと感謝を口にされました。そのあと、洗う為に集積しているこまごまとしたモノを見ながら「捨てなきゃいけないけど、そうは簡単に捨てれないのよね。捨てたけど、後からあれは捨て良かったのかなとそのことを考えてしまう。そうなると後悔ばかりが募って・・」
さらに「ここで暮らしてきて、これからもここでしか住めないから、捨てていいのかどうかとても迷う。こんなことは早く終らせて元の生活に戻らなきゃいけないのだけどねぇ」と。

私はこれまで東北、丹波と災害のボランティアに何度がお邪魔しましたが、被災者の方と直接話をしたことはありませんでした。
今回初めてでしたが、きっと被災された方は同じ苦しみがあるのではないかと感じました。

それは“手放す”ことの苦しみです。
捨てたいものを捨てる場合、苦しみを感じることはないでしょう。
しかし捨てたいものではない、だけど捨てざるを得ない場合、これを“手放す”と言いますが、非常に多くの苦しみを感じます。手放すことが苦しみを減じることだと教えますが、実際はそこには私達の性とも言える苦しみもあるのです。
被災されることは、突然多くの“手放し”が生じること。そして、その苦しみを抱えているのが被災された方々です。
今回の活動でそれを教えていただきました。

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