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新英霊墓園の建立

新英霊墓園の建立

令和5年12月8日 新英霊墓園を建立しました。
その時の慰霊法要での私の挨拶です。

 ご挨拶 12月8日
 極楽寺住職でございます。今回、遺族会の皆様のご賛同を得て、新しく英霊の墓苑を建立させていただきました。
一言、ご挨拶を申し上げます。

本日、先の大戦やそれ以前の戦役・事変で戦い、そして亡くなった英霊の新しいお墓のお魂入れと慰霊法要を無事に執り行うことができました。
まずはこの尊いご縁を賜りましたことに御礼申し上げます。
そして、ご多様な中、遺族会会長をはじめ皆様のご臨席を賜りましたこと、重ねて御礼申し上げます。

先の大戦では、祖国日本の発展と安寧を願い、戦地に赴いた多くの方々の尊い命が失われました。御遺族の皆様方には、決して癒されることのない深い悲しみを抱きながらも、力強く生き抜かれ、郷土そして祖国の発展のために御尽力を賜りましたことに対し、深く敬意と感謝を表します。
今日私達が当然のように享受している平和と豊かさは、戦争で亡くなられた方々の尊い犠牲と、御遺族の皆様の御苦労の上に築かれたものであることを、決して忘れてはなりません。

本日十二月八日は先の大戦「大東亜戦争」開戦の日であり、そしてインドではお釈迦さまが悟りをひらいてブッダとなられた成道の日です。
私はそれを承知で、この日を選びました。
平和は自然現象ではありません。平和を得ること、そして平和であり続けるには、私たちの不断の努力が必要です。     
その努力をたゆまぬよう行うには、まず「戦争の教訓を風化させない」ことが大切だと信じております。
私達は、幸いにも戦後七十八年、平和の中に生きています。しかし同じ人間社会にあって、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとハマスの争いなど、世界各地では今も凄惨な戦争や争いが頻発しています。
平和であることがいかに稀有なことか、強く感じさせられます。
だからこそ、戦争の教訓を風化させることなく、次の世代への継承が大切であり、今の私たちの責務です。平和を得る不断の努力をしていかなければなりません。

先ほどお魂を入れた新しい石碑。
そこには「英霊之碑」と彫られています。
その字は、私が書きました。
この春に石碑を建立することが決まり、ではそこに何を書くのか。私なりに色々と考えました。
最初は「慰霊之碑」を考えました。しかし、それでは教訓の継承に至らないのではないか。
戦地に赴いた一人一人が、その一つ一つの大切な命を賭した尊い方々、「英霊」とすべきだと考えました。
私達は英霊達の時代、いわゆる「戦前」を知るとき、白黒の写真や映像ばかりを見ている、あるいは見せられています。それ故、暗くて抑圧的な時代であったと、錯覚しているのではないでしょうか。
決してそのような時代ではなかったはず。今の私たちと同じ、春夏秋冬、四季に鮮やかに彩られた一人一人の人生があったはず。その人生、命を賭した方々が英霊達です。
「英霊」とは、敬いの言葉です。
この敬いの根底には、感謝があります。「ありがとう」に代表されるよう「今があるのは有り難し、決して当たり前ではない」と感じること。
もし「慰霊之碑」であれば、未来永劫、「慰め」のみになるでしょう。
「慰め」は、慰める者と慰められる者との直接的な関係が下地にある行為です。したがって世代が進めば、月日が経てば、「慰め」の感情は自ずと消えていくでしょう。
それが「戦争の教訓の風化」となり、やがて平和への努力が途絶えていく恐れがあります。
戦争は地震などのような天為天災ではなく、人の手による人為人災です。それ故、戦争が起きないようにする努力を怠ってはいけないでしょう。

仏教では真実に目覚めさせてくださる方を「善知識」と呼びます。
また「先立つ人は善知識」とも言います。
先に亡くなった方は、遺した者にその死によって何かを教えてくれます。問題はそれを私達が受け取れるかどうかです。
英霊は善知識です。
その英霊から何を受け取るか。
有益な教訓を受け取り、それを平和の構築や維持に繋げていきたい。

皆様の前に立っていらっしゃる仏様は阿弥陀如来様です。「南無阿弥陀仏」の阿弥陀仏です。
その仏様について説かれたお経に『仏説阿弥陀経』があります。
そのお経の中に、阿弥陀如来の世界である極楽浄土には珍しい生き物がたくさん住んでいると説かれています。
その中の共命鳥(ぐみょうのちょう)は、身体は一つなのですが、頭は二つあります。この共命鳥は、この世において、お互いの頭は敵対関係にありました。
しかし、極楽浄土では、争うこともなく、仏の教えを説き、人を仏法に導く鳥として描かれています。

この二つの頭を持った共命鳥は、ヒマラヤの雪山近くに棲んでいたそうです。
頭が二つ、互いにそれぞれ、自分が正しいと考え、お互い譲らなくなりました。やがて喧嘩が始まり、それが続くと、お互い相手が憎くて憎くてたまらなくなったそうです。
ついに一方の頭が、「あいつが居なくなれば!」と本気で考え、ある日、とうとう片方をだまして毒の実を食べさせました。食べた頭の方は亡くなりましたが、食べさせた方の頭も体はひとつ、当然死んでしまったというお話です。

このお話は、実に多くの事を物語っています。極めて親しい者どうしが傷つけ合う、殺しあう「共命鳥」の話は、まさしくこの世を生きる私達の姿でもあります。
広く人間世界を見れば、地球という一つの胴体に、それぞれの国が一つ一つの頭となって「私の国だけは」との思いを強く持っているから、凄惨な争いが起きているのかもしれません。
このように「共命鳥」のお話は遠い極楽世界のことではなく、身近な今の私たちの現実世界にも満ちあふれています。
極楽にいる「共命の鳥」は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と鳴き続けているそうです
本日、英霊を前にして、あらためてこのお釈迦さまからの「み教え」を思い出しました。
 現世の人間社会での営みのこと、決定的な解決方法はなかなか見つからないでしょう。
それでも私たち一人一人がそれぞれに、解決を求めて、考え、行動していかねば、争いは一向になくならないでしょう。戦争は人為ゆえに。
そのきっかけとなり続ける石碑であることを願っております。

最後に、本日より、極楽寺が英霊の永代供養とお墓のお守りをいたしますことをご報告いたします。

結びに、英霊をはじめ、戦争により亡くなられた全ての方々に哀悼の意を捧げますとともに、御遺族並びに御臨席の皆様の御多幸を心からお祈り申し上げまして、ご挨拶といたします。

令和五年 十二月八日 
                    極楽寺住職 吉本正弘

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