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その人は前にいますか。

その人は前にいますか。

『その人は前にいますか。』

 7月26日に、大阪で開催された「北朝鮮により拉致された被害者の救出」に関する会で、お話をする機会を得ました。
 拉致された者の家族の訴えを、北朝鮮がそんな事するかと嘲笑された時代から携わっておられる「特定失踪者問題調査会」代表の荒木先生からのご依頼を受けてのことでした。

 昨年5月に拉致に関する調査を約束したストックホルム協議から一年以上が何の進展もなく経ちました。その時間を、いたずらに過ぎたと言います。
 寿命を天に任せ、それまでの時間を自由に使える世界に住んでいるのが私達。その私達には、いたずらとはせいぜい無駄な時間だっと悔やむぐらいなものでしょう。しかし寿命を天ではなく冷酷な者達に握られている拉致被害者はどうでしょうか?悔やむような時間なぞありません。「いたずらに」とは、勝手に定められた命の期限に近づいている、非常に冷酷で残忍なことだと思います。
 
 その冷酷な期限から救う方法の一つとして、自衛隊による救出、これらの検討をすることについて、元自衛官としてお話をさせていただきました。私の話を聞き、皆さんがそれぞれの立場で救出を考えて出来る事をしていただければと思っています。

 僧侶の役割に抜苦与楽があります。そのためには傾聴することがとても大切であり、その真意は苦を引き受けることだとも言われます。そして傾聴は、相手を見失わないことがとても大切です

 法要の後に、自らもう死にたいと訴える方がおりました。その方は早くに夫を亡くし、女手一つで大切に育てた息子を自死で失いました。その自死の当日、あの時なぜ声を掛けなかったのだろうかとの後悔や、救えなかったことへの懺悔で非常に苦しまれていました。 
 法要後の本堂で、私はその方と向かい合っておりました。その苦しみを前にして、なんと声を掛けていいのかわかりませんでした。そしていつしか私は「ほかのお坊さんならどう言うだろうか?仏典には何と書いているのだろうか?」などと考えておりました。
 その時の私の前には、その方はおりませんでした。相手に傾聴せず、自分の中で違う事を推し量っていたからです。

 拉致被害者の救出を考える時、とにかくまずは憲法違反か否か、あるいは法的根拠はなどと、いつしかあるいは最初から、その様な論争だけに終始する。そのような事はないでしょうか。
 
 そのような時、私達の前には拉致被害者はいません。

 苦しむ人を救おうとして、方法論を論じているうちにいつしかその人を見失う。この様な事は他の社会問題でもあるのではないでしょうか。

推し量っているうちに、いつしか苦しんでいる人を見失う。
気をつけたいと思います。
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