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坊さん来たでぇー

坊さん来たでぇー

『坊さん来たでぇー』

 訪れた家のインターホン越しの女の児の声です。
お坊さんの見張り役だったのでしょうか。思わず笑ってしまいます。さらにお仏壇の前の私の顔を覗き込むように、「なにしてたん」、もっと早く来てよと言わんばかりに。
 お仏壇の前には多くのお供えと共にアンパンマンのお菓子がありました。どうやらお坊さんが来てお参りが終わらないと、おさがりとしていただけないようです。
 女の児にとってのお坊さん、微笑んでしまいますね。
 
 お盆の季節です。

 お坊さんたちがスクーターで走り回っています。大阪のある女子高生のお坊さんのイメージは「スクーター、丸メガネ、丸顔」だそうです。きっとこの時期のイメージなのでしょう。
 
お盆の正式な呼び方は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。その謂れとなる盂蘭盆経には、次のように説かれています。
 
 お釈迦様の弟子に神通力(超能力)に優れた目連尊者という方がおられました。その目連さんがその神通力によって、自分をとても可愛がってくれた亡き母が、なんと地獄で餓鬼になって苦しんでいることを知りました。
 その母を救おうと、お釈迦様に教えを乞うたところ「七月十五日、雨季の修行(夏安居)を終えた僧侶たちに飲食を供養すれば、その功徳で母親を助ける事ができるだろう。」と。
 目連さんは、さっそく「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を行い、修行明けの僧侶たちに飲食を施しました。そしてその功徳によって、母親を餓鬼道から救うことができたということです。
 
 お釈迦様は、直接母親に何かを捧げるのでなく、なぜお坊さんに施しをしなさいとおっしゃったのでしょうか。
 それは、お坊さんとはどんな存在であるかを考えてみると、なるほどと思います。

 お盆に皆さんがお参りされるのは、当然ご自分のご先祖様でしょう。ではそのご先祖様一人一人のお名前を知っていますか。
 たいていの人は父母、そして祖父母ぐらい、まれに曾祖父母ぐらいでしょう。仏壇を見ても、その上は〇○家先祖代々と書かれた位牌が一つあるだけです。
 そういう事からも自分のご先祖と聞いても、それは自分、父母、祖父母、先祖代々とまとめられて、それが一本の縦ライン上にと思ってしまいます。
 
 皆さんの父母は二人。その父母である祖父母は四人。さらにその父母である曾祖父母は八人。さらにその上となる一六人となります。
 一世代30年として四代、120年で皆さんの父母から高祖父母と、ご先祖様は30人いらっしゃいます。時代で言えば日露戦争前から大東亜戦争を含めての時代、とても大変な時代です。
 さらに、四代五代六代、時代も明治、江戸、戦国、室町と遡っていきますと、皆さんのご先祖様はねずみ算式に膨れ上がっていきます。
そ の様に考えてみますと、先祖とは一本のラインではなく、逆三角形状に拡がっていきます。

 そして、その逆三角形の下の頂点にいるのがわたし(あなた)です。
 
 そのご先祖様達には、それぞれの人生がありました。そしてその人生は、飢饉や戦乱などもあり、幸か不幸ではなく、今よりも生きていくのがとても大変な時代であったと思います。
 そのご先祖様のうち、一人でも欠けていたらば、今のわたし(あなた)は存在していません。それぞれのご先祖様がその時代を生き永らえてその子へと、そうして綿々と紡がれ、やがて今のわたし(あなた)となっているのです。

 ではそのご先祖様達は誰の施しも受けることなく、たった一人自分だけの力で生き永らえたのでしょうか。

 それはないでしょう。きっと誰か彼かの施しをうけたと思います。

 また、同じ様にわたし(あなた)の大切な人、恋人であったり夫・妻、あるいは友人であったりとしますが、わたし(あなた)同様にそれぞれにたくさんのご先祖様がいらっしゃいます。そしてそのお一人として欠けていないからこそ、今わたし(あなた)の前に大切な人がいます。そしてそのご先祖様達も誰かの施しをうけていたはずです。ひょっとしたら、互いに助け合っていたかもしれません。
 
 つまり、私達は誰かのおかげでこの世に生を受けています。そして自分だけの力で生きていることはありえないのです。
お互い様(迷惑をかけて)のお陰様(施しを受けて)のつながり(ご縁)で結ばれているという事です。

 目連尊者の母は、貪欲の末に餓鬼に落ちました。その振る舞いは、わが子である目連さんだけが良ければ、他の人なぞどうでもよい。
それは、たくさんのつながり(ご縁)によって生かされている事を理解していない振る舞いだったのでしょう。

 仏教では自らの善行の結果がたまたま自分に還ってくることを「功徳(くどく)」と呼び、自分の知らない場所で知らない人にもたらされる善果を「利益(りやく)」と呼びます。
 要するにこの社会は無数のご利益の連鎖によって支えられているという事です。

ですから「みんなに繋がった修行僧」への供養こそが、特定の個人にも最良の窓口になると教えてくださったのだと思います。

 ご自分のご先祖を敬うことは、此の世の有縁に思いをはせることでもあります。
よいお盆をお過ごしくださいませ。
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